「餅配り」 ―ともに正月を喜ぶ―4邦寿会は2021年に創立100周年を迎えました。1921年サントリーの創業者で初代理事長鳥井信治郎が、社会奉仕への強い信念のもと生活困窮者救済のため、大阪市今宮の愛隣地区に無料診療と施薬を行う「今宮診療院」を開設したことに始まります。後になって鳥井信治郎は次のように書いています。 年末に社寺に献酒すると共に、そのあと押しつまってくると餅つきをして、当時の方面委員 (編注:今で言う民生委員)の方に協力を願い、生活に困っている方々に配ってもらった ことである。 これは全部匿名でしてもらったから、世間には全く知られていないだろうが、それでも今 でも古い民生委員の方に会ったときなど、そのころの話が出て、ありがたかったというよ うな話をされることもある。 この餅配りの餅をつくことがまた大変だった。(中略)せまい店の裏で、多勢の賃づき屋に 来てもらって餅をつき、社員も元気なものは、これに加勢したのであった。 (中略)別に綿入れの着物等も加えて贈ったこともある。伊藤忠から大量の反物を買入れ、 正月に間に合うように、家内は社員の夫人達にも呼びかけ、一同で奉仕してこれを縫い上げ たものである。 このようにして、正月のお祝いも自分達だけでなく、生活に困っているドン底の人達とも 一緒に喜んでもらうよう努めたものだが、これには家内が一番力を入れてくれたもので、 あとに家内がなくなってから、邦寿会をつくって、社会事業に力を入れるようになったの も、この因縁によるのである。(鳥井信治郎「道しるべ」サントリー社内報『まど』昭和34年3月号より一部抜粋)この邦寿会の名称は、鳥井信治郎の夫人クニの「邦」と寿屋(サントリーの前身)の「寿」をとったものでした。鳥井信治郎は、「事業によって利益を得ることができるのは、人様、社会のおかげだ。その利益は『お客様、お得意先』『事業への再投資』に加え『社会への貢献』に役立てる」という「利益三分主義」の強い信念のもと、ウイスキー作りへの挑戦など幅広い事業活動を行いながら、熱心に社会福祉活動にも取組みました。鳥井信治郎の強い「信念」と「思い」によって始まった邦寿会は、その時代、時代にふさわしい社会福祉活動をいち早く取り入れ、実現してきました。それはまさに挑戦の連続でありました。戦後の混乱期にあっては、戦災者や海外引揚者等の方々のために収容施設「駒川ホーム」や、身寄りのない方たちのために「赤川ホーム」を設け、戦災によって行き場のない方々に宿泊所を提供してきました。戦後復興とともに社会福祉の法整備が進む中、時代のニーズとともに駒川ホームは母子寮として、赤川ホームは養護老人ホームと赤川保育所へと発展し、大阪市内の社会福祉活動に大きな貢献をしてきました。1962年(昭和37年)2月、鳥井信治郎理事長は83歳の天寿を全うし、佐治敬三理事長に事業は継承されました。2000年(平成12年)には介護保険制度が導入され、高齢者福祉の内容が大きく変わりました。急激な高齢化社会の進行、国の財政逼迫など、法人運営においても高齢者個人にとっても、福祉の現場は、厳しい現実にさらされていました。創立者 鳥井信治郎
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