「陰徳あれば陽報あり」「良いことをしたとき、人はそのお礼を受けとってはいけない」
これは、サントリーの創業者で邦寿会の創立者鳥井信治郎が常々口癖にしていた言葉です。事業の鬼とうたわれるほど商売に情熱を傾けた人でありましたが、その反面、幼いころ母に感化されたあつい信仰心や社会への謝意から、社会奉仕には我を顧みずにといってよいほどの深い理解と実行力で、多くの社会事業を手がけてきました。
約100年前の1921年(大正10年)、大阪市今宮の愛隣地区に無料診療と施薬を行う「今宮診療院」を開設したことから「邦寿会」は始まります。
この邦寿会の名称は、鳥井信治郎の夫人クニの「邦」と寿屋(サントリーの前身)の「寿」をとったものでした。
鳥井信治郎は、「事業によって利益を得ることができるのは、人様、社会のおかげだ。その利益は『お客様、お得意先』『事業への再投資』に加え『社会への貢献』に役立てる」という「利益三分主義」の強い信念のもと、ウイスキー作りへの挑戦など幅広い事業活動を行いながら、熱心に社会福祉活動にも取組みました。
戦後の混乱期にあっては、戦災者や海外引揚者等の方々のために収容施設「駒川ホーム」や、身寄りのない方たちのために「赤川ホーム」を設け、戦災によって行き場のない方々に宿泊所を提供してきました。
戦後復興とともに社会福祉の法整備が進む中、時代のニーズとともに駒川ホームは母子寮として、赤川ホームは養護老人ホームと赤川保育所へと発展し、大阪市内の社会福祉活動に大きな貢献をしてきました。
1962年(昭和37年)2月、鳥井信治郎理事長は83歳の天寿を全うし、佐治敬三理事長に事業は継承されました。
その後、高殿苑、つぼみ保育園、天野苑、どうみょうじ高殿苑、包括支援センターと事業内容は時代のニーズを踏まえ、変化、多様化してきましたが、創立者鳥井信治郎の「陰徳あれば陽報あり」すなわち「人の見えないところで徳を積めば、いつかそれが自分にいいことになって還ってくる」その信念は、今もなお、生き続けています。